佐藤さん、兼松さんの講演の後、45分間のお昼休憩をとりました。
2人とも参加者の方たちと和気あいあいとごはんを食べていました。
そして、休憩後はメインテーマである、grennzが行なっている「マイ・プロジェクト」というワークショップを行いました。
復習)マイ・プロジェクトとは…?
「これやってみたいなー…」みたいな、”自分ごと”から始まったアイデアや、今もそれを達成しようとがんばっている自分プロジェクトのこと。
お昼休憩の前に自分のやっていること、それかやってみたいと思っている「マイ・プロジェクト」について書いてもらっておいたので、参加者の方がお昼休憩している間にスタッフと登壇者の2人で、その中でも面白そうなテーマを8つ独断的に選んで、それをワークショップのときのテーマにしました。
そのテーマは次の通り。
1. 食の安全について。社会的なタブーについてもっと知りたいがそのためにはどうすれば?
2. 2時間の通学時間をもっと面白くしたい!どうしたら面白くなる?
3. 東北に貢献したい!市役所で働くことによって何の意味があるの?
4. ”美容×おばあちゃん”で何かできないか?
5. カッパを釣りたい!どうしたら釣れるの?
6. ”大人”の学割プロジェクトについて。学生の学割ってお金のディスカウントが多いけど、お金に囚われない”大人”バージョンでも学割をつくりたい!価値のプラスカウントとか?
7. ディスカッションをどんどんしたい!どうやったら自発的にディスカッションをしようと思えるのか?朝ディスカッションの場をつくるにはどうしたらいい?
8. 家族の大切さを伝えたい!家族愛を人に話すことの恥ずかしさはどうしたら拭えるのか?
「1つのテーブルに1テーマ」で8つのテーブルを用意。
時間の都合上1人2つ、話してみたいなーっていうテーマのテーブルに移動します。
テーブルに広げてある大きな紙にとにかく思いついたアイデアを書き込む、という形で進めました。
なかなかアイデアの出しにくいと思われるものもあったものの、見た限りではほぼ全部のテーマにおいて多くの意見が交わされ、
「これやったら面白いんちゃう!?」
「これとこれ組み合わせたらいけるやん!」
みたいな楽しそうな声が多く聞けて、対話をしている姿を多く見ることが出来ました。
「これが答え!」っていうのを求めることを最終地点にしていないために、だからこそ、みんなが対話しあってアイデアを具現化させようと、自分が思ったことをポンポン出している姿が良かったです。
まだ話したいのにー!と言う声も多くある中、惜しくらむも時間の都合上、今でてるアイデアをまとめてもらって、共有しました。中には、「自分のやりたいことが見えました!」なんて言って下さった参加者の方もいて、本当に嬉しかったです!^^

恋せよ若者

このあとは、佐藤さん、兼松さんのトークセッション。
一番必要なことは何か、ということから「恋」をテーマに話が盛り上がりました。
「恋」って、自分にないものを持ってたりだとか、憧れを抱いている人のことを、性別問わず言うものなのだとおっしゃっていました。
学生の時に起こる「恋」というものははっきり言って奇跡。それが「愛」になるには、時間をかけてその人が自分自身の一部になっていく。最初は遠くにいたはずなのに、いつの間にかそれが ”自分事”になってどんどん近くなっていく、そういうものなんじゃないか、と。
そこで佐藤さんと兼松さんに、司会のかん奈が質問を投げかけました。
「佐藤さんと、兼松さんの気になる人、いつか会ってみたいと思う人は誰ですか?」
佐藤さん:(キューバ革命を行った革命家)チェ・ゲバラ
⇒ロールモデルとして、チェ・ゲバラ自身の生き方を尊敬しているから。毎回、ゲバラが生きていたら、これをどう思うのか、何をしたらいいのか、っていうのをゲバラが生きていると仮定して彼の視点から眺めるようにしているとときどき何かひらめくことがあるんだそうです。
兼松さん:(ほぼ日の)糸井重里
⇒「ほぼ日」というメディアを作り上げそれが確立されている、そして、20代の時に得た様々な経験から今のコンテンツが成り立っているという点で共感しつつも、対抗意識を燃やしているから。
2人の登壇者に共通していることは、そういう人や場所にいつか偶然出会ったり、行く機会っていうのが必ず現れるということ。今はまだそのときじゃないと言っていましたが、その機会が現れるのをすごく楽しみにしているようでした。
そのあと、「夫婦」という関係について。
3人とかだったら、1人がダメになったら残りの2人が助けて持ち直すことってできますよね。でも、4人とか5人とか、ましてや3人ではなく、夫婦って「男女2人の関係」ですよね。2って、すごい脆い。どちらかが倒れたら自分も倒れちゃうかもしれないし。
そう思うと2という数字で成り立つものってすごいなと。
夫婦って対話ができる関係がとてもいいと兼松さんは言います。もちろん喧嘩したり仲が悪くなったりするけど、両方が自分のなりたい自分に向かって話し合いながら成長していく。それってすごいいいことだなと思いました。
ゆくゆくは兼松さんは「夫婦のありかた専門家」になりたいともおっしゃっていました。
「夫婦になるための結婚って、”恋”や ”好き”の延長線上にあるっていうわけじゃなくて、どんなことがあっても、何が起きても学んでいこう、最後までこの人と一緒にいよう、この人としか見えない未来がある、と思える、そういう覚悟が出来る人と結婚すると考えると1人しかいないんだよね。」
佐藤さん、兼松さん、両方言いながらうんうんうなづいていて、こういうことを話している姿がもう幸せそうで、本当に合っているんだなーと仲の良さを滲み出しつつも、それと同時に”心地良い覚悟”も感じられました。いいなーと思いました。
登壇者の最後の一言で、この長々としたレポートを閉めようと思います。
佐藤さん:「恋をせよ!」大切な人を見つけて、興味を持ってワクワクする感情をもっと持とう!
兼松さん:「いつも100%で生きろ!」とりあえず、じゃなくて自分で100%選んで生きる、生きる、食べる…そういった選択を責任をもって自分で選んでいくと、大変だけど絶対楽しいものになるはず。




続いて、greenz編集長の兼松佳宏さんの講演です。
兼松さんのシフトシートは
「変える」⇒「つくる」
『変える』ということには対象や、善悪があります。
こういうことがよくないから、そのために何かしよう、そういった心の動きのこと。
でも、「誰が」それをよくないって決めたの?とか、そういうよくわからない問題にまで発展してしまう。
でも、『つくる』は違くて。変わっていくときに、その先に残るものをつくりたい。世の中は変わっていくけど、その中で自分がいたんだぞ!っていう証となるようなものをつくりたい。変わっていく中にもまれるだけじゃなくて、その中で自分という存在意義を持たせるようにしたい、そう込めてシフトシートを書かれたそうです。
兼松さんの簡単な紹介です。
1979年秋田生まれの勉強家。
"暮らしと世界を変えるグットアイデア厳選マガジン”「greenz.jp」の編集長。
「わたし大学院」という自分でつくった超私立大学(!)の博士課程に通い、「ソーシャルデザインと場づくり」というテーマで勉強しながら、修士一年目に著作『ソーシャルデザイン』という本を執筆しました。来年の1月にもうひとつ論文という名の著作を発表することができたら卒業、だそうです!
兼松さんの心がけていることは 、
AS SANTA AS POSSIBLE(できるだけサンタでいよう)。
兼松さんが編集長をしているgrennzなどを含め、全部 ”贈り物” をする気持ちで届けようということです。それに、兼松さんの奥さんが現在、みんなでサプライズを企画して届ける「サンタの嫁」プロジェクトというものを行っていて、奥さんがサンタの嫁を名乗っている=つまり、兼松さんはサンタ、ということになるということも理由のひとつとしてあるのだそう。

greenzを始めたきっかけ

兼松さんがgreenzを始めたキッカケは、2つあって、1つは「ネガティブ」なことを知ったから。ネガティブなことを知らないと、それから何とかしようと思わないですよね。
メディアが流すネガティブなニュースを、greenzではそれらの解決策を提案しよう、なにか動き出したいと思っている人たちが参考になるようなモノを提供しようと思い立ち上げたそうです。
2つ目は、社会起業家を目指す人たちの理解者になろうとしたから。greenzを立ち上げた2006年には、まだまだ社会起業家という言葉が馴染んでいなくて”変わり者”というレッテルが貼られていたそう。それではいけないと思い、そういう人たちを応援しようとしました。
greenzは、Webマガジンというウェブ上だけのものではなく、オフラインでのつながる場というものも行なっていて、アイデアはあるんだけど、どうしたらいいかわからない…というような、アイデアのたたき台にするような、ツールや場所も提供しています。
このアイデアはひとりだけ?なんて思ったら、やっぱり不安ですよね?
その人なりの100%に向けての目標を応援するように、寄り添えるように、とgreenzは考えています。
そして、greenzの本「ソーシャルデザイン」のタイトルにもなっている、greenzが考えている、『ソーシャルデザイン』とはどういうことなのか
具体的な課題の解決と同時に、新たな価値を付与する画期的な仕組みをつくること。
マイナスである社会的 課題をゼロにする(=解決する)だけじゃ、その問題を知っている人にしか「いいね!」とはならなくて、多くの人に知ってもらうには、それをプラスにして見せることでやっと「いいね!」になる。でも、それが1回で終わってしまったらもったいないから、それを何回も続けられるような仕組みをつくり、社会の役に立つ、それが重要だと言っていました。
−−−−−−
その後はいくつかgreenzに載っている面白い具体例を紹介したあと、grennzが行なっている「マイ・プロジェクト」というワークショップについての説明をしてくださいました。
マイ・プロジェクトとは…?
「これやってみたいなー…」みたいな、”自分事”から始まったアイデアや、今もそれを達成しようとがんばっている自分プロジェクトのこと。
今回行ったワークショップでは、自分のマイ・プロジェクトを他の人に聞いてもらってそこから「私も実はねー!」みたいに、どんどん人を巻き込んで新しい企画をつくって、これからの社会がもっと良くなるようにするためのアイデア出しの場をつくりました。
こうしたいと思ってるのになんでしてくれないの!じゃなくて、こういう風にさせるには、っていう「どうしたらやりたくなるのか」をデザインすることも重要な視点。
今はアイデアやビジョンを編み出すことも重要だけど、何かアクションを起こして今はこういう風になってるんだけど、ここからもっと良くするためにはどうすればいいかな?みたいな、コミットして意見を共有をしながら育てていくこともどんどん必要になってくるだろうと。
ユニークであればあるほど、早く出せば出すほど、どんどん面白いものが増えていく。また、誰かの自分事から誰かからの共感をもらいながら、どんどん思いが組み合わさってプロジェクト化していく。そういうふうにして、社会に影響を与える面白いアイデアが生まれてくるのだと。
最後に兼松さんはこう言っていました。
考えずに踊らされるっていうのは、自分はとても楽。
それは、誰かがやってくれるから。
でもこれからは、「生き方を自分で選んでいく」(=自分事)ことが必要になってくる。
でもそれって、すごく大変。
だけど、それを超えた先にはきっと素敵な未来が待っているはず。
次はワークショップ。それから、ワークショップを通して感じたことなどを、ざっくばらんに話してもらうトークセッションに続きます。




これは、レポート用に作成したものをコピーして貼り付けたものです。
元のURLはこちら⇒http://bit.ly/TjckFF


前回は雨だったのですが、今回は「晴れ◎」
まずはじめにアイスブレイク。
今回は前回と違って、「じゃんけん列車」の他に「ほぼ無理ジェスチャーゲーム」をしました!
(普通のジェスチャーゲームだったら「ゴリラ」とか、「パンダ」とかそういう簡単なやつが多いと、なかなかアイスをブレイクできないのでは?と考えた企画班が、かなり難しいものだったらがんばろうとしてアイスをブレイクできるのでは?と考え、生まれた企画です。)
ex.機敏なムチ使い
Twitter係だったので後ろからみていたんですが、みなさんが何とか頑張って伝えようとしている姿がとても楽しそうに見えましたよー!
−−−−−−−
そして、アイスもブレイクした後に
登壇者の佐藤慧さん、兼松佳宏さんの講演。
まずは佐藤慧さん。
佐藤さんは「ファインダー越しの3.11」の著者で、写真と文章を駆使し、人間の可能性を伝え続ける気鋭のフォトジャーナリスト。
佐藤さんのワールドシフトは
「I」→「愛」
最初に、佐藤さんがなぜ「カメラ」と「文章」というツールを使って活動をしているのか、ということについて。
カメラで物を撮るということは、絶対に自分でその場所に行って、その目で見てカメラを通して覗きこみ、その上でシャッターを切らなければならない。そういう能動的な行為があるために、「自分が何を思ったのか、何を伝えたいのか」っていうのを考えることができる。そして、その背景にある、五感で感じたものを言葉を通じて伝えるために文章も同時に使って活動している。
現在活動している”ザンビア”について。
現地で会った孤児院にいる小さい子ども。生まれたときからエイズに感染していて、20歳までは生きられないだろうと言われている。佐藤さんには最初はそういう子どもがいるという事実が、なぜだかわからなかったそう。生まれた瞬間に死ぬ運命にある人と、そうでない人がいる、その中で「死ぬ運命にある人の命には何か価値はあるのだろうか、苦しみしか残さないのではないか」、なぜそういう人たちが生まれているのだろうか、そう自問自答していました。
しかし、その質問に孤児院に住むシスターはこう答えたそう。
「この子のような儚い命があるからこそ、自分や目の前の人たちの命の大切さについて考えることができる。」
確かにエゴイスティックな考え方かもしれないけど、その子どもが周りの人間に、その子の状況をどう思うかということを考えるきっかけを与えてくれる。そういう小さなことが少しずつその子の生まれてきた価値というものを高めているのかもしれない。もっと多くの人に知ってもらい、多くのことを感じてもらい、その子の生まれてきた価値というものを高めたいと思って、佐藤さんは写真や情報を通して伝えているのだそう。
大手メディアは大体大枠としてこういうことを伝えたい、という共通認識が必要(インパクト重視なので普通の日常はなかなか取り上げられない)。なので、それに当てはまらない情報はどんどん削られていく。なので、表面はひとつに見えるけど実際はひとつではなくて多くの価値観があるということを伝えるために、フリーのジャーナリストはその価値観を伝えるために尽力しています。
このザンビアのお話の前にタイの洪水についてのお話がありました。これもおんなじこと。洪水というイメージに対して、「被害が大きい」というバイアスがかかっているために、そういう状況の様子しかメディアは流しません。なので、そこで暮らす人がいち早く仕事を探していたり、ポジティブに生きている様子はなかなか見ることができないです。そういうところにフリーの人が出向いて、内部をよく見て、それを発信するからこそ、本当はどうなっているのかということを自分たちは知ることができるんです。
”伝えることで写真を撮った人の運命は変えることはできない。しかし、伝えることでそれを見た誰かの心に種のようなものが植え付けられ、それがのちに花を咲かすような間接的な手助けとなるよう
に、写真を撮り続けています。
続いて、震災に関して。
佐藤さんのこの言葉にはとても深く突き刺さりました。
今もなお、陸戦高田市の市街地を通る人は今はほとんどいない。むしろ、そこに住む人たちは、そこを通ることを拒んでいる。なぜか。それは、そこを通るとあまりに多くの痛みに触れてしまうから。
しかし、建物の取り壊しなどで、痛々しいものがなくなり、更地になることで、そこにある痛みを感じることができなくなってしまう。更地となり、草も生え、一見のどかな場所に見えるところでさえも、何がそこで失われたかということを知っている人にとっては、とてつもなく痛々しい光景に写ってしまうのである。
それは実際に経験することでしかわからないのか。
佐藤さんはそうではないと言っています。
人は、物事に想像力を働かせることで、すべてとは言えなくても人々が感じた思いを共有することができる。写真を通して伝えるということも、想像力の手助けとなるようにと思って撮っているのだそう。

肌で感じる震災の被害

震災当時、佐藤さんは前述のザンビアにいて、インターネット接続もままならないその地で知った、Twitterやニュースの情報に驚いたそうです。
「震災直後に200名の死体」
これはどういう意味なのかわかりますか?
自然災害が起こった場合、死者数というのは、確認をとっている時間が必要になるので、ある程度時間が経ってからわかるものです。
しかし、
この震災は地震発生直後にこれだけの死者数が判明しているということは、どれだけ被害が大きいか、大津波で流された人々がどれだけ多いかっていうことを示しています。
そこで知った200人の死。今のところ死亡が確認されたのは200人だったが、確認されていない死の総数はどれくらいになるのだろう。そのことが頭から離れなかったそう。
その後すぐに、帰国を決めて帰ってきた時に、ニュースで聞いた、「(地元の)陸前高田市は確認できません」とのことば。 人口2万人のその都市で、隣の都市との境界線がわからない、壊滅してしまったということを聞き愕然としたそうです。
その後、地元に戻る途中に父から、何とか生きているという連絡があったため、「被害は甚大だけれど人ってちゃんと生き延びられたんだ」と、少し軽く考えてしまったそう。
しかし、母が依然として行方不明であるということ、それに実際に市街地に行ってみて、つい最近まで普通に動いていたタイヤ、木材など、人々の営みがあったものが全て瓦礫となって転がっていることから、被害の甚大さを痛感したそうです。
また、被害が大きかったのは海沿いの地域だけではなくて、「内陸部」にも大きく、
①川を逆流した津波によって襲われたからというのと、
②内陸部だから大丈夫だろうと安心していた人々が多くいて、逃げ遅れたということ
が要因として考えられます。
佐藤さんがここで感じたことは、
「ここまでバラバラになった都市を見たことがない」ということ。
どんなに紛争の多い地域でも、爆弾の多く飛び交う地域でも、街を完全に破壊することはできない。必ずどこかに死角が存在します。
しかし、津波によって被害を受けた街は、津波は水が通るところに死角がないため、もろもろ全て流されてしまい、それゆえに全てが飲み込まれ跡形もなくなってしまうのです。
この震災を通して佐藤さんが考えたのは
死は確率論ではないということ。佐藤さんは、アフリカなどでもっと死が身近である地域にいるはずなのに、東北の田舎で過ごしている佐藤さんの母が亡くなってしまった。そのことから、「死っていうのは向こうからやってくる」ということをずっと考えていました。
東北で感じた、「何でこんなに苦しいのか、胸が締め付けられるのか」っていう感情は、それだけその対象のことを愛していたから、大切に思っていたからなのではないか。痛み、悲しみ、怒りを感じるのは、それだけ愛を育んできた証拠なのではないか。単なるネガティブな感情なだけではないのではないか。
東日本大震災は未曾有の大災害を引き起こしました。しかし、全てネガティブな面だけだったかというとそうではなく、周りの人たちの受け取り方次第で変わってくるもの。残した痛みを自分たちの生き方次第でどうにでもなれる。どう動くかが重要なんだと。
世の中にはたくさんの辛い事実があり、そしてまずそれを知らなければいけない。しかし、そういう辛い苦しみを伝えて多くの人に知ってもらうには、自分のやっていることでは限界があると痛感した佐藤さんは、現在、
「希望について考えている」そうです。
希望っていうのは可能性に満ち溢れている、というようなマイナス要素が全くないというわけではなく、本当は逆で、絶望であったとしても、抗いようのない出来事があったとしても、たった1%でもしがみつける何かがある、それが希望になるのではないか?それができれば人間は絶望しないのではないか?と言っています。
何の絶望のないところから希望のことばは力を持たない。本当の絶望の中からそれでも這い上がろうとして出てきた言葉というものより強い言葉はない。
佐藤さんは、この職業を通して、たくさんの絶望やどうしようもない事実を知り、ただそれを伝えるだけではなく、それでも前に進んでいけるということを伝えることを目標にしているそう。自分の生き方からというよりも、現にそうやって生きている人たちがいるから伝えられるということを示したい。そうおっしゃっていました。
復興でもそう。
…復興ってなんだろう。
いろいろあるけど、心がいかに痛くても、苦しくても、悲しくても、それとともに明日を生きていこうと思える、その一歩を踏み出そうという気持ちが「希望」であり、「復興」なのではないか。
そういうことを考えると、人生の中で起こる痛みや悲しみは、希望への糧になる。度合いが深ければ深いほど、他人への喜びも理解することができる。
I(個人的な体験)を越えて、愛(他の人たちの痛みというものを自分の中に取り入れることによって、他の人を愛する気持ちもどんどん上がっていく)へ
どうあるのかじゃなくて、どうありたいのか。
佐藤さんはそれを毎日考えて生活しているそうです。
次は兼松さんの講演のレポートです。



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